アート縁日2 of Y0KOHAMAPORTSIDE

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アート縁日 6th →

1996年秋に開催された第5回におよそ半数を、第6回では,出展者の方を公募するかたちにしました。それまでは主催者側で出展者のキャスティングを行っていましたが、それが、このイベントにふさわしいあり方ではないように思えてきたからです。
恐らく、この頃からアート縁日は、主催がつくる「アート縁日」ではなくなってきたのだと思います。出展者の方の想い、来場者の方の期待…それぞれの力が共鳴するかたちで「アート縁日」がかたちづくられるようになってきたのでしょう。そして、そのことが「アート縁日」の新しい魅力になっていったのだと思います。



en2.jpg公募制にしたこと頃から、出展者数、動員数ともに上昇気流に乗ったアート縁日でしたが、その後、会場の確保ができないという危機に直面することになりました。栄・本町線が本来の「道路」としての機能を果たし始めたこと。諸般の事情から舗道部分での開催も難しくなったことなどが、その理由です。


空き地があるようでないのが当時のヨコハマポートサイド地区。工事が始まっていない街区でも、工事中の街区のための現場事務所や資材置き場などに利用されていました。

そうした中、やっと現在のポートサイド公園で開催できることになりました。1996年(平成8年)のことです。しかし、公園はまだ工事途中の段階。出展者のみなさんにも、また来場者のみなさんにもずいぶんご苦労をおかけしたと思います。
右上の写真は,現在、開催時には本部テントが立てられる「ギャラリーロード沿い公園正面入口」付近の写真です。しかし、公衆トイレがまだありません。当時は、このような状態での開催を余儀なくされていました(写真は、クリックで拡大表示)。


en8.jpg当時のポートサイド公園は、波形の芝生マウンドも完成しておらず、かろうじて「アルテ横浜」裏側が整備されているに留まっており、横浜ベイクォーターの方向に向かって細長く伸びている部分は、まだ土盛りがなされているだけの状態。みなとみらい大橋方向で出入りするということもできない状態にありました。
そうしたことから、C-3街区(横浜ポートサイドプレイス)に面した部分に仮設のスロープをつくり、導線を確保するなどの工夫をしていました。

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このスロープの一件では、当時、各街区で建設工事に携わっていた業者のみなさんに温かいご支援をいただきました。


アート縁日は、再開発が進められるごとに大きく様相を変えていく街で開催されてきたイベントです。それ故、これまでに一度も同じ条件で開催できたことはありません。しかし、それでも15年以上に渡って、継続開催できてきたのも、街づくりに関わる多くの方々のご助力があったればこそのこと。

改めて、お世話になったみなさんに御礼申し上げたいと思います。
もちろん、出展者のみなさんにも 来場者のみなさんにも心より感謝しています。


enxx-44.jpgポートサイド公園竣工後は、ほぼ安定的に開催することができるようになりましたが、それでも雨には勝てないのがアート縁日です。インドアに入るべきなのか、やはり晴天を祈って屋外での開催を続けるべきなのか、数年に渡って検討していますが、未だに結論を見出せずにいます。

また、アート縁日に対して、あらたなかたちが求められているのではないかという意見があることも事実です。

いずれにせよ、従来どおりを繰り返すだけに終わるのではなく、
絶えず、新しい「アート縁日」のかたちを探し続けていかなければならないと思っています。