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ヨコハマポートサイド街づくり協議会 since 2014-02-18



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デザイナーズ・パークともいうべき「ポートサイド公園」、公園全体がアート作品ともいえる「金港公園」。そして、関東大震災の復興事業としてつくられたという歴史を持つ「神奈川公園」。ヨコハマポートサイド地区には、それぞれに個性豊かな3つの公園があります。




ポートサイド公園

1991年(平成3年)から翌1992年にかけて実際された設計コンペにおいて、応募券数171件のなかから第1等になった長谷川浩己氏のデザインによる公園です。

ギャラリーロードから公園に入る、その入口付近には「うねる芝生」があります。長谷川氏は、広報誌「GARRELY ROAD」第4号に寄せた文章のなかで(この芝生について)「幾重にも折り畳まれた芝生は太陽の動きによって刻々と姿を変える」「適度な傾斜は腰を下ろしたり、寝そべるのに最適であり、水面を臨む観客席となる」と語っていらっしゃいます。
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水際に沿って約400m続くプロムナードはエノキの並木と石畳が特徴になっています。低層部の商業空間との連動性を豊かにしたいということから、当初より街区部分と公園との境界はあいまいなものとしてデザインされたようです。
一方、水際には、葦原の復元ということが織り込まれていました。葦原につきでた木製デッキは、直接、その葦原に立っているような感覚になることを体感するための装置として計画されたもののようです。

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歩行空間の一部であり、周辺の街区へ、そして地区外部へとつながっていく空間である

長谷川氏は、ここは公園ではあるけれど「ここはヨコハマポートサイド地区の歩行空間の一部であり、周辺の街区へ、そして地区外部へとつながっていく空間である」ともおっしゃっています。

恐らく、まずは人々がそぞろ歩く空間であるとお考えになったのでしょう。「うねる芝」だけでなく、プロムナードに並ぶエノキの影も、太陽の動きとともに刻一刻とそのかたちを変えていく…
そうしたことを楽しみながら、そして水辺を感じながら「歩く」空間であると…

何気ない時間をなにがねいかたちで日常を演出する…アート&デザインの街づくりにふさわしい公園のかたちとは、こういうものなのかもしれません。


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金港公園

コンカード横浜、ycsビルの隣。横浜市ポートサイド地下駐車場入口側にある、およそ100坪のポケット・パーク。モニュメンタルな色彩が強い公園です。

この公園をデザインしたのは、岡本敦生さん。石の彫刻家として国際的に知られる作家の方です。横浜市の依頼を受け、この公園の構想に入った岡本さんは、できれば再開発が始まる以前から、この街に暮らしてきた方々や、逆に、これからを発想していくべき若い学生のみなさんと、この公園をつくっていきたいと考えられました。

その提案を受け、岡本さんを中心に、若い学生のみなさんや、当時の地域住民のみなさんたちと、この公園のためのデザイン・ワークショップが開催されました。1992年(平成4年)のことです。

開発とは逆の方向を描くもの

ワークショップでは3つの案がまとめられましたが、それは、どれも岡本さんにとっては予想外のことだったといいます。
廃材を利用する案、あえて、そのまま放置して、この100坪くらいは、土に還すべきだという案など、どの案も、むしろ、開発とは逆の方向を描くもので、岡本さんは、とても考えさせられたとおっしゃっていました。

そうした提案を参考に、岡本さんは、ランドマークタワー(みなとみらい中欧地区)の建設によって廃材となった、旧三菱重工ドッグの石材を利用することを思いつかれ、下のようなエスキースを描かれました。

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神奈川公園

山下公園と同様、関東大震災の復興事業のひとつとしてつくられた公園です。

1927年(昭和2年)から工事が始まり、完成は1930年(昭和5)年の春だったようです。公園北側には神奈川会館という名のレストハウスが設置され、食堂や集会所などもあり、開設当初から、横浜都心北部の重要なコミュニティ・センターになっていたようです。

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1945年(昭和20年)の敗戦後、公園は米軍に接収され、その後、7年間は米軍の管理下にありました。1953年(昭和28年)返還の翌年に公園として再整備され、現在に至っています。

残念ながら、神奈川会館は、1983年(昭和58年)老朽化のため取り壊されましたが、その建物の一角を飾っていたステンドグラスは、今も、神奈川公園内にある幸ヶ谷集会所や神奈川図書館(神奈川区立町)に保存されています。

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歩行空間の一部であり、周辺の街区へ、そして地区外部へとつながっていく空間である

国道沿いの,比較的、小規模な公園ですが、横浜市内でも数少ない戦前からの歴史を持つ公園のひとつです。